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本拠地「法は不識を許さず」 studylawblog.wordpress.com

かく言う私も生意気と言われたほうなんだけど今では老害に足を一歩踏み入れて入れているのだろうか

若い。若いな。。

 

www.jimpei.net

 

やぎろぐさんは、この記事を書くときに見させていただいたところで、若く、そして輝かしいキャリアに目がしぱしぱなったものでした。

 

意識高いことは素晴らしいに違いない。

私はどちらかというと、エリート風の人たちのモラルハザード気味なところ(札束でトロフィーワイフ引っ張ってきてミソジニスト感モワモワしてることに躊躇いがないとか)とか、格差社会の昂進に伴っちゃって色んな位相で相対的優位な側が弱い側を切り捨てたり、見ないようにしたり、見ないふりしてることのほうが問題だと思う。

想像力が足りてなくて、一歩先に地獄をこさえることなんか、誰にとっても、本人にとってもイイコトなハズない。刹那的すぎるというか。

そういう、意識低い系が蔓延っちゃうと、よろしくない。

だいたい、頭良いテイだったはずが、ボタンの掛け違えで自分も転落し得る状況に加担している構図なんて、何にも頭良くないし。

だから、やっぱりどっちが良いかと言い出すと、意識低いより、意識高いほうが良いに違いない。

 

あと、はてなーの、シニカルな姿勢こそカッコイイみたいな流行りも、基本微笑ましいけど、(ほとんど確信的に?)ときどき本筋からズレたところを寄ってたかって叩いてるのなんか見ると、ちょっとウンザリする。

 

だけど、「意識高い系」が叩かれるとき、的はどちらかというと後半にかかっているんだと思う。「系」。亜流。~っぽく見えて、その系譜にはあるけれども、周辺的なものが含まれる、と。

 

件のブログ主さんは、意識高い系というより充分意識高いとは思うのだけど、「意識高い系」の言葉でイライラするのは、揶揄の意味合いに同梱されてるところの、若さへの批判へのイライラでなかろうかと思う。そして、近い経験と感情に覚えがある。

 

 

散々生意気だって言われて、へん!(# ゚Д゚) …と思えば、へへん!と思ったこともあるけれども(実際、「生意気」は兎も角「若い」には両面あると思うので。良いところ悪いところ。)、いま、どちらかというと言う側に立ってみて思うのは、やっぱり叩きたい気持ちもあるのかもしれないし、老婆心的なものもある部分もある。

何が老婆心じゃい!というのは、やっぱり、若くて生意気なのは、変革もしやすいけれども、老練さとか、つまり練った感じとか、詰めの甘さみたいなものが往々にして含まれるわけで。

それを理由に、若い者の足を引っ張ってはいけないのは言うまでもないけど、青さの部分が先に立って見える時には、見ていてヒヤヒヤするんだと思う。言い方悪いけど幼児のケアをしているときと同じ。つまり、彼我を分かつポイントたるところの、経験は残念ながら失敗も含めて積んできたので、あーあーそのままそっちいくと、その穴に落ちるよー、というのが見えるときに、ヒヤヒヤしてしまう。

やぎろぐ氏のことはウォッチしてきたわけではないので、いっちょかみで察するに、だけど、勢いがあるので、やっかまれることもあれば、脇の甘さなんかが見えてるのだとすれば、それで転落することの危惧もあるんではなかろうか。

 

はてなでは往々にして、「主語がデカイ」叩きをしたがるけれども確かに、意識高い系・生意気・若いと言われたときに、十ぱひとからげでイライラするのはやめて、その人がどちらの意味で言っているのか、嫉妬や利権を守る防衛本能からなのか、何かの懸念があって言ってくれているのか、よく見分けないといけないですわね。

 

それが早めにできるようになったとき、生まれて何年経ったかに関わらず、若造だと言われなくなってくるのだと思う。

 

 

う~ん。しかし、人口動態的な意味で、現役世代のほとんどが、若造と言われてマウンティングされるようになる世の中というのは、ちょっとマズイよね。

 

そして、老獪さをゲットしつつ、フレッシュさみたいなのを保つには、どうしたらいいんべか。そういうイイとこ取りみたいなのはできないんだろうか。